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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和48年(行ス)2号 決定

抗告人 建設省北陸地方建設局長 増岡康治

指定代理人 山田巌 外一名

相手方 村上政夫

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  抗告人は、「原決定を取消す。原審本案訴訟(金沢地方裁判所昭和四五年(行ク)第九号依願免職処分取消請求事件)を新潟地方裁判所に移送する。」との裁判を求め、抗告の理由として別紙のとおり述べた。

二(一)  よつて案ずるに、抗告人の所論の骨子は、要するに、依願退職処分-正確には辞職承認処分-に関する限り任命権者以外に右処分の成立に関与しうるものはなく、また他の者がそれに影響を与えうる余地のないことを強調し、仮に金沢工事事務所において相手方(すなわち本件本案訴訟の原告)の退職願提出について同人の真意をただし、その翻意をうながし、或いは配置換に応ずるよう説得した事実があるとしても、同事務所のなした右一連の措置は本来下級行政機関としてそのようにすべき何らの責務も必要も認められないのに同事務所長が相手方の直属上司としての個人的情諠からこれをなしたにすぎず、本件処分の成立とは何らの関係もないというにあると解される。

(二)  しかしながら、抗告人の所論はたやすく肯認し難い。

なるほど所論のとおり、「任命権者は、職員から書面をもつて辞職の申出があつたときは、特に支障のない限り、これを承認する」(人事院規則八-一二 職員の任免七三条)ものとされているので、当該職員から辞職願の提出がなされた場合、任命権者は特に支障のない限りすみやかに辞職承認処分をしなければならないのであり、行政庁側に特段の事由もないのに右辞職の承認を延伸したり、当該職員の辞職の理由をとりあげて辞職の承認を拒否することなどは許されないというのが右人事院規則の趣意であると解することができる。従つて、同規則の趣旨からすれば辞職願の提出された経過やその周辺の事情、ないしは第三者の意見聴取等は辞職承認処分の成立上不可欠の調査事項とはいえないとの解釈も一応成り立ちえよう。

けれども、いうまでもなく行政処分は適法有効になされなければならないことを当然の前提としているのであつて、いまこれを本件係争行政処分である辞職承認処分についてみるに、同処分は、私人の行為とはいつても公法上の効果に結びつけられた辞職の申出という「私人の公法行為」の存在を前提として成立する行政行為であるから、辞職願の提出があつても右書面が当該職員から提出されたとは認め難いとき(すなわち、辞職の申出行為の不存在)や、辞職申出の意思表示に強度の瑕疵があり、もはや当該職員が任意にその官職を辞退するものとは到底認め難い場合には-本件本案訴訟では正にその点が請求の基礎(主要部分)をなしていることは相手方提出の訴状その他一件記録上明らかである-これらの点を看過してなされた任命権者の辞職承認処分は、その存立の基礎が全く失われたものとして、或いはそれに準じる程度の欠陥を具備するものとして右処分自体の効力がその影響をうけるに至ることは避け難いところといわなければならないのである。

そうだとすると、任命権者である行政庁は職員から辞職申出がなされ、これを受理した場合には、右辞職の承認を与えるに先だち、右申出が真に当該職員からなされたものであるのかどうかについてはもとより、右辞職の申出につきその意思表示に瑕疵がないかどうかに関し慎重に調査すべき職責を有するものというべきであり、のみならず、その調査の方法、程度等に関しても当該事案に則して合目的的に行なわれるべきことは他の行政処分の場合と何ら異ならないことはあらためて述べるまでもないであろう。

してみれば、任命権者が当該職員の辞職願を受理し、その承認処分をなす準備として所要事項につき自ら調査するだけでなく、場合によつては当該職員の属する下級行政機関に前記事項の全部又は一部につき調査を命じ、或いは同行政機関の意見具申を徴すること等は行政事務遂行上当然の事柄に属することである。

以上と異なる抗告人の主張は採用しない。

三  ところで、金沢工事事務所が抗告人の下級行政機関であることは建設省設置法一四条、一五条、地方建設局組織規程一四条により明らかであるところ、更に進んで同事務所が行政事件訴訟法一二条三項所定の本件依願退職承認処分に関し「事案の処理に当たつた」かどうかにつき検討されなければならない。

そこで先ず、同法一二条三項にいう当該処分に関し「事案の処理に当たつた」との意義につき考えるに、同文言は、それ以外格別明確な制限も附されていないこと、同条項の管轄は旧法規定をあらため新設された特別管轄(新法では「専属管轄」とはされていない。)であること等も考慮して、下級行政機関の事案の調査に基づく意見具申等によつて上級庁が処分をする等処分の成立に関与することを意味するものと解するのが相当である。

そこで、以上の観点に基づき本件について検討するに、本件記録を精査すると、原決定四枚目裏八行目「…………金沢工事事務所は、…………」から五枚目裏五行目「…………交付していること」までの事実を認めることができる。右認定事実によれば、金沢工事事務所は、職員二八六名の人事考課に関し、かねてよりその一部を自ら決定するか、或いは重要事項について本局に意見具申を行なつていたこと(この点本件と無関係という抗告人の主張は採らない。)、相手方が抗告人宛本件辞職願書を提出しようとした際にも同書類を抗告人に送付するに先だち、これと連絡をとつて、予め相手方の真意をただしたうえ、その翻意をうながす等の措置を構じたばかりでなく、退職願を本局に送付するに際しては副申を付していること、同事務所長が退職の辞令を相手方に交付する際にも配置換の辞令を用意したうえ配置換に応ずるようなお説得などしている-本局側においては右辞職願の受理後もなんらみずから直接調査をした形跡がない-ことの以上が認められるのである。

してみると、金沢工事事務所は相手方の辞職申出に関し、-抗告人と連絡をとつたうえ-右申出行為の存否、申出にかかる意思表示の瑕疵の有無等につき慎重な調査を遂げたうえ抗告人に意見具申を行なつたものであることを肯認しうるのであつて、抗告人においても同工事事務所の右意見具申を参考とすることによつて初めて本件辞職の申出に対し承認を与えることができたものと推認することができるのである(これに反する抗告人の主張は採り難い。)。従つて、以上のような経緯を総合し、考察すると、同工事事務所は、前記意味において、本件処分の成立に関与したものないし条理上これと同視し得るものと解して差支えないものと思われる。

なるほど、金沢工事事務所長が相手方に対し辞職願の提出の真意を確め、翻意をすすめ、配置換に応ずべきことをしようようしたことなどは、ひとつひとつ取上げれば直属上司としての個人的情諠からなした面も見られないではないが、同所長の右各所為はむしろ、本件辞職願申出に関し所要事項に関する一連の調査の一環としてなされたものとしての性質を有すると解すべきであり、結果的にみても右調査に基づく諸資料は抗告人において有効適切に本件処分をなすに際して当然用意さるべき有力な判断資料となつたことは明らかなところといわねばならないところであるから、抗告人のいうように同事務所長のなした前記一連の処為をことさら、個別的に評価し、(あるいは本局の意に背馳するもののように主張して)その法律的意義を減殺するのは政府機関のあり方からいつても、社会常識の上からいつても、たやすく左祖し難く、当らないところというほかはない。

なお再言するに、抗告人が相手方に対し、下級行政機関の長である金沢工事事務所長のなした前記所為をあえて不要のものとか関知しないものと主張するようであるが、さように見られないことは従前説示するところから自明であり、しかも今日本件でさように主張するのは、信義則ないし条理に照らし、如何にも当を得ず、許されないものというべきものと思料される。

四  以上の次第で、金沢工事事務所は本件処分の事案の処理に当たつた下級行政機関と解することができるものというべく、したがつて行訴法一二条三項に則り同事務所の所在地を管轄する原審裁判所も本件本案訴訟につき管轄を有するというべきであるから、抗告人の本件移送の申立を却下した原決定は相当であり、従つて、本件抗告は棄却を免れない。

よつて抗告費用を抗告人に負担させて主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 三和田大士 裁判官 夏目仲次 裁判官 山下薫)

別紙

抗告人の抗告理由

原決定は行政事件訴訟法一二条三項の法意を誤解し、かつ、依願退職処分の法的性格を看過し、金沢工事事務所等のとつた措置を不当に評価した違法があつて到底首肯し難い。

以下その理由を詳述する。

一 行訴法一二条三項は、「取消訴訟は、当該処分又は裁決に関し、事案の処理に当たつた下級行政機関の所在地の裁判所にも提起することができる」と規定して、同条一項所定の一般管轄のほかに特別の土地管轄を認めているが、同項にいう「事案の処理に当たつた」ことの解釈については「単に処分庁の依頼によつて資料の収集を補助した程度ではなく、その処分の成立に関与したことをいう」(杉本良吉・行政事件訴訟法四九頁)とか、「単純に調査の嘱託を受けて資料の一部を収集した程度ではなく積極的にその処分等に関与し、重要な影響を与えたことをいう」(南博方編・注釈行政事件訴訟法一四五頁)などと説かれているが、原決定も抽象的には「処分の成立に積極的に関与し、これに重要な影響を与えた場合は、行政事件訴訟法一二条三項にいう事案の処理に当たつたに該当するものと解すべきである」と述べているところからみれば一応は前同様の理解にたつように見受けられなくもないのである。

二 ところで、「事案の処理に当たつた」ことの解釈について下級行政機関の当該行政処分の成立に関する関与の仕方、程度あるいは影響が前記のように重視されるべきことは「事案の処理に当たる」という字句そのものの解釈からも十分これを引き出すことが可能であるが、さらにその立法経過をみることによつて一層明瞭といえるであろう。すなわち行政処分の中には形式上は中央官庁又は上級行政機関の行つた行政処分として成立しながら、その実際は、下級行政機関がその事務所管区域内において処分のための資料収集を行い、あるいは収集した資料にもとづいて評価・意見の具申を行つた結果を中央官庁なり上級行政機関がそのままもしくは相当程度に受けいれて処分に及んでいる例が少なくない。このような場合には下級行政機関所管地域内に処分と密接な関連を有する資料なり関係人なりが多数存在することが予想されるので、裁判における証拠調の便宜や、国民の権利救済の機会拡大という見地から下級行政機関所在地を管轄する裁判所にも土地管轄を認めることが合理的とされた結果、行政事件訴訟法一二条三項の新設となつたものと解されるのである。(杉本・前掲四八頁参照)

そうだとすれば、同条項の「事案の処理に当たつた」ものであるか否かの判断は、具体的行政処分についてまず当該行政処分が成立するうえで法的にいかなる調査や資料収集あるいはいかなる評価や意見具申が手続上の要件として必要とされたか否か、またそれらは当該処分の成立にどの程度にまたいかなる点において重要とされたか否かを検討し、ついで下級行政機関が現実にそれらの諸点に関し、どのようにいかなる程度に関与したのかを探ることによつてはじめて可能となるはずである。

他方当該行政処分の成立に関し直接、間接の関連はあつても処分の法的性質上、特に調査や考慮を要すべき事項とされない事柄については、それらはもともと処分の成立に影響を与える余地のないものであるから下級行政機関がいかにその事柄に関与しようともこれをもつて「事案の処理に当たつた」ことの判断基準となすべきものではないのである。(かく解さないと裁判所は本来一義的に明白なるべき土地管轄の有無を判断するについて、単なる事情とか背景についてもいきおい審理を要求されることとなり、遂には管轄の有無を確認し得ぬまま本案審理を余儀なくされる結果ともなるし、当事者は常に背景・事情を持ち出すことによつて随意の裁判所に訴訟を係属させることが可能となつて結果的に管轄の定めを無意味ならしめてしまうおそれがある。現に原決定はこの点を誤つたため、本件移送申立を却下するにあたり、本件辞職承認処分の成立とは明白に何ら影響や関連を持ちうるはずのない金沢工事事務所の所属職員に対する人事一般の関与の程度・内容について判断しこれをも同工事事務所が事案すなわち本件処分の成立に関与したことの理由として掲示する重大な誤りをおかすに至つているのである)。

三 そこで次に依願退職処分-正確には辞職承認処分について下級行政機関が関与しうる余地があるか否かを検討することとする。

辞職承認処分は承認権者たる任命権者が職員から辞表の提出のあつた場合に国家公務員法六一条「職員の休職・復職・退職及び免職は、任命権者がこの法律及び人事院規則に従いこれを行う」との規定、及び人事院規則八-一二職員の任免七三条「任命権者は職員から書面をもつて辞職の申出があつたときは、特に支障のない限りこれを承認するものとする」との規定によつて行うところの一方的意思表示であり、右意思表示は特に支障のある場合を除いては理由のいかんをとわずすみやかにこれを行うべきものとして任命権者に義務づけられているものである。

従つて任命権者が辞職承認処分を行うについては、当該職員から退職願の提出のある以上他に何らの要件を必要とされず、退職願の出された経過やその周辺の事情の調査、あるいは職員の退職意思の確認・調査、さらには退職願の扱いについての第三者の意見聴取等々はもとより不要の事柄に属し、かつ処分の成立に何らの影響を持ちうるものでもないのであつて、これを要するにこと辞職承認に関する限り任命権者以外に辞職承認処分の成立に関与しうるものはなくまた影響を与えうる余地はないものである(尤も辞職願に対し特に支障あるものとしてその承認を延期する場合は別論であることはいうまでもない)。しかるに原決定は上敍の点につき何ら考慮をめぐらすことなく、単なる処分までの事情・経過に目を奪われた当然の結果として、軽卒にも、「依願免職処分において……下級行政機関が当該職員の(退職の)の真意をただし、慰留(し、)あるいは退職時期の交渉を行ない……意見具申を行う」などする措置をもつて任命権者に対し退職承認の可否や退職承認の時期を判断するための積極的資料収集並びに提供行為である旨速断し、かつこれらの措置は辞職承認処分に対する下級行政機関の積極的関与であり、重要な影響を与えた措置であると断言するという、重大な誤りをおかしているのである。

四 原決定はかくて一方において「事案の処理に当たつたとは当該処分の成立に積極的に関与しもしくは重大な影響を与えた場合をいう」と恰かも正当な解釈によるものであるかの如き表現を用いながら、他方において本来処分の成立に関与する余地なき事項、もしくは処分の成立に影響を及ぼし得ざる事項をも同条の解釈・適用の場に持ち込むことによつて、結局は、同決定が行政事件訴訟法一二条三項の誤つた解釈によるものであることを自ら表白したといわざるを得ないのであるが、なお念のため、原決定の説示するところは逐一反論を試みれば次のとおりである。

(一) 原決定は〈1〉「金沢工事事務所において被告あての退職願を開封し本局と連絡のうえ退職願提出についての原告の真意をただしその翻意をうながしその結果を本局に電話連絡し、副申を付して本局に送付していること、さらに同年七月一日金沢工事事務所長が副所長、庶務課長同席のうえ、原告を所長室へ呼出し配置換の辞令と退職承認の辞令の二通を用意したうえ原告に配置換に応ずるよう説得し、原告の態度をみたうえ同所長の判断により原告に対し退職辞令を交付していること」及び〈2〉「本局においてなんら独自の調査をした形跡のないこと」を「事案の処理」に関連した事実として認定しているが仮に事実がその通りであつたとしてもまず〈2〉の点については辞職承認に関する限り任命権者は本人から退職願が提出された以上すみやかにこれが承認措置を講ずるのが当然の責務であり、右承認に先立つて殊更真意の確認、翻意の慫慂、直属上司の意見聴取その他何らの措置を講ずべき必要も義務もないのであつて何ら異とする筋合いのものではないし、次に〈1〉の点のうち真意の確認、翻意の慫慂、配置換に応ずべきことの慫慂などはいずれも処分の成立とは関係なく相当方の直属上司としての個人的情誼からなされたものであつて下級行政機関の措置と評価しうるものではないし、そもそも下級行政機関としての金沢工事事務所にはそのような措置をとるべき何らの責務も必要も認められないことは本局の場合と同様である。また退職願の本局への送付や金沢工事事務所長のした辞令交付の如きは辞職承認処分に常にともなうものであつて、形式的機械的な手続上の一過程に過ぎないものであるから特にこの点が問題とされる場合を除いては管轄決定の原因とはなり得ないものであろう。

(二) なお原決定は、金沢工事事務所の所属職員に対する勤務評定、勤勉手当の成績率の決定・昇格昇級候補者や人事異動についての意見具申を行つているとの事実認定と本件退職願が相手方に対する配置換内示を不満として提出されたものであるとの事実認定をも付加して、これらの事実もまた金沢工事事務所のとつた真意確認等の一連の措置が本件処分の成立に重大な影響を与えたものであるとすることの根拠となるが如き説示を行つているが、右の如き事実は退職願提出に至るまでの単なる事情、経過的事実にすぎず、本件処分の成立に関与しもしくは影響を与えたか否かの判断基準とすべからざるものであることは既に述べた通りである。

五 以上のとおり金沢工事事務所は行訴法一二条三項の「事案の処理に当たつた下級行政機関」に該当せず本件訴訟については任命権者たる被告所在地を管轄する新潟地方裁判所が唯一の管轄裁判所であるので、原決定を取消したうえすみやかに本件を新潟地方裁判所に移送する旨の決定を賜わりたく本抗告に及んだ次第である。

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